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2005年11月

家族について、または親子について(後編)

先日、トリニータの練習見学に行った。
その日はリカバリートレーニングだけで終始和やかムード。

その中に、黄色いTシャツを着た男の子がいた。
セレソンのユニフォームを真似たと思われるシャツの男の子は
グランド中央でリフティングを練習している。
その姿を見守る端整な顔立ちの男性は、どうやらお父さん。
お父さんがジグザグドリブルをしてみせる。
男の子は一生懸命真似てみる。
「やってみてごらん、お父さんは見てるから。」
そんな声が聞こえてきそうな光景だった。

ああ、小理屈並べる事なんてない。
これが「家族」であり「親子」だ。
すこし勇気をもらって家路についた。

ありがとう、シャムスカお父さん。

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家族について、または親子について(前編)

私は、職業柄「家族」や「親子」について話をすることがある。
教科書などに出てくる「家族」の定義は以下の通り。
「夫婦を中心とし、その近親者で構成される集団」
「愛情による結びつき」という文言が出ることもある
(未確認なのでおかしかったら意見をください)
「親子」については血縁関係による(つまり夫婦間から生まれた)か
法律に定める手続きを取った(養子縁組)か、ということになる。
その話をするとき、どうにも違和感が伴い続けた。

愛情があっても、血縁関係があっても、
幸せになれない家族のなんと多いことか。
「家族だから助け合おう」「家族だから、あなたを思っているのよ」
という言葉が、私には足枷にしか思えなかった。

そう思い始めたきっかけがある。大学4年生の初夏のことだ。
知人が、21歳で自らの命を絶った。
近しい人ではなかったが、私にとっては大切な人だった。
大学で一報を聞き、
(どうやって家までたどり着いたか、今も思い出せないが)
ようやくの思いで家族に話したとき、家族は私に言葉を返した。
個人のプライバシーに関わるので発言は伏せるが、
私は、私を生んだ人から、そんな言葉を聞くとは思いもしなかった。

愛情、近親者、一緒に生活をしている、
何をどういっても、つまるところ家族とは「美しいもの」ではない。
生活を合理的に行うための、「人間の共同体」なのだ。
共同体を守る方便が、愛情だの血縁だのといっているにすぎない。
このあと、家族を「美しいもの」だと思うことはきっぱりとやめた。

しかし、私に「人生」を与えてくれたことには、大いに感謝している。
生まれてこなければ、こんな経験はできないのだから。
そして生んでくれた人々に何かがあったとき、最大限のことは
したいとも思う。「人生」を与えてくれた恩返しとして。

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広島戦

アウェイツアーに参加できず、中継も後半からしか見てません。
でも、一言言わせてください。

「君たちは、大分トリニータの選手だよね?」

あの、勝てる気がしなかった7月8月の君たちはどこに行ったのか?
ロスタイムで粘り負けたホーム広島戦の悔しさが吹き飛びました。
4−0で勝つなんて。・゚・(ノ∀`)・゚・。
すべてマグノ頼みだろ、という反論も甘んじてお受けします。
今の大分、はすべてにおいてブラジル人頼みですが何か?

オールスター以後、「あ・べ・ゆうき、ドンドンドドドン!」の幻聴が
止まらなかったのですが、これで聞こえなくなるでしょう。
千葉戦?ナビスコカップ? 何のことですか?

20日は、ついに鹿島をお迎えします。
J1優勝の鍵を握るチームになるなんて(感激)。
鹿島サポ様、試合後は某所でお待ちしていますので
ご参加くださいませ。

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